十朋亭維新館開催中企画展「『城下町』山口」の展示資料3回目

【鴻城九図の世界 その参 太神宮】

太神宮(山口大神宮)は、今からちょうど500年前の永正17年(1520)、大内義興が伊勢神宮を勧請してきた神社で、「西のお伊勢様」として崇敬を集めています。文久3年(1863)、長州藩の藩庁が萩から山口に移ったのと同じ頃、山口盆地の入り口に関門が設置され、長州藩外よりの人の出入りが厳しく制限されると、大道(防府市)と小郡に、それぞれ内宮と外宮の遥拝所(【ようはいじょ】遠く離れた所から神仏を拝むための場所)が設置されました。元治元年(1864)9月、太神宮の大宮司・松田上野介(まつだ こうずけのすけ)は、藩主・毛利敬親の山口城への移徙(【わたまし】貴人が引っ越しすること)のため、吉日を選んで上申しましたが、直後に藩庁が萩に戻ることになったため、このときは実現しませんでした。

 

「鴻城 太神宮ノ図」(山口市歴史民俗資料館)

現在の山口大神宮

 

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