十朋亭維新館開催中企画展「『城下町』山口」の展示資料4回目

【鴻城九図の世界 その肆 瑠璃光寺塔】

日本三名塔のひとつに数えられる国宝・瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔(ほかに法隆寺と醍醐寺の五重塔)ですが、もともとは大内義弘(おおうち よしひろ)の菩提所である香積寺(こうしゃくじ)のものでした。関ケ原の合戦の敗戦によって、毛利氏が中国地方八ヶ国から防長両国(山口県)に減封されたことにより、それまで広島城下にあった毛利元就の菩提寺・洞春寺(とうしゅんじ)が、香積寺を仮の位牌所として移ってきました。その後、洞春寺は萩城内(二の丸)に移転しましたが、以後も五重塔を含む香積寺の建物・道具類は洞春寺の管理下に置かれます。元禄3年(1690)、それまで仁保にあった瑠璃光寺が、萩藩の命令により、新たに香積寺の地を賜って移転してきました。洞春寺は、銀十枚の代価を得ることで、この地を瑠璃光寺に譲り、今日に至っています。

 

「鴻城 瑠璃光寺塔」(山口市歴史民俗資料館蔵)

現在の瑠璃光寺五重塔

 

 

 

 

 

 

 

お知らせ一覧に戻る